福徳の神として信仰される七福神
通常、夷(恵比寿)、大黒天、布袋(ほてい)、福禄寿、毘沙門天(毘舎門天)、弁才天(弁財天)、寿老人の七福を云いますが、寿老人は福禄寿と同体異名であるとして、これを除き吉祥天、あるいは猩々を置くこともあります。
インド、中国、日本の雑多な福徳の神を七体取り合わせたものといわれますが、その成立はかなり古く、又始めから七福神が一定していたというわけではありません。室町時代(1420年)(応永27年)は七福神をかたどる風流行列が京都伏見で行われたり、あるいは七福神の装いをして七福盗賊が京都市中に出没したという記録があります。七福盗賊が装束をつけて入れば福神の入来として縁起を喜びこれに財物を与えたという説もあります。
毘沙門天、大黒天はインドの神、弁才天は音楽弁才などをつかさどるインドの神で、吉祥天と混同されますが、いずれも福徳の神として平安期頃から信仰され、大黒天は大国主命と習合されるようにもなりました。寿老人、福禄寿は中国の福寿の神、布袋和尚は後梁の禅僧契此(かいし)ですが、円満の相を尊ばれ福徳神となりました。夷はもともと海辺漁民の神として信仰されていましたが、海運守護さらに商売繁盛の神として中世広く信仰されるようになりました。
つまり七福神はこうして雑多な神を組み合わせ、「福徳施与」の神として瑞祥のしるしとして絵画や彫刻の題材となり歌謡や舞踏にも扱われ、七福神の船遊び、古くからは七福神詣などが行われ祭神として多く社寺でまつられる様になったようです。
七福神の総称として「七難即滅、七福即生」の説があります。
恵比寿
えびす

大黒天
だいこくてん

毘沙門天
びしゃもんてん

弁財天
べんざいてん

寿老人
じゅろうじん

福禄寿
ふくろくじゅ

布袋
ほてい
