奈良県奈良市 ~ 薬師寺『 最勝会 』 ~

5月4日

薬師寺は薬師如来を本尊とすることからこの名が付けられており、興福寺とともに法相宗の大本山であり、南都七大寺のひとつに数えられています。天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたもので、現在は平成10年より古都奈良の文化財の一部としてユネスコより世界遺産に登録されています。

最勝会(さいしょうえ)とは日本三大会(南京三会)と呼ばれた法要の一つで、護国経典とされる 『 金光明最勝王経 』 について講師が講義し、また僧侶が経の内容について論議を行うと共に、国家安泰や五穀豊穣などを願い国民の幸せを願う法会でもあります。僧侶が幹部資格を得るための国家試験も兼ねられていました。

大講堂が天禄4年に焼失し、再建の建物も享禄元年に焼けて以来最勝会も途絶えていました。最勝会が大講堂の復興と共に長年の悲願の復活を果たしたのが500年振りの平成15年。以来今日に至っている法要です。

午後6時40分ごろ、奈良時代の資料をもとに制作された法衣をまとった26人の僧侶が、白張姿の従者を従えて本坊を出発。勅使役ら総勢60人が雅楽の音色と共に松明の火を頼りに境内を練り歩き大講堂へと進まれました。入堂がすむと参拝者の方々もお堂の左右にわかれて入ることができ、法要を拝むことができます。

堂内では講師・読師の声が響き渡り、燈明の淡い光に弥勒三尊が浮かび上がる中、厳かな雰囲気で最勝会が厳修されます。三條西宗家が香を供えて講堂を清めた後、散華の声明が唱えられ、その後「講師」役と「読師」役の2人が論議を重ねます。 また、「探題」役から出される金光明最勝王経や法華経の教義の問題にも回答。約400人の参拝者に見守られながら、約2時間にわたってしめやかに法要が営まれました。

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